
食の記憶 −にほんの宇治金時
2011.4.11 Monday
旅と食がコンセプトのこのブログ。ようやく本題に入ろうと思います。
生まれも育ちも千葉船橋市。
「菜の花体操」「落花生」「ららぽーと」くらいしか誇る物がない住宅地の私の町。
富山と秋田の祖父母からも離れ、両親も共働きの為、幼い頃の食べ物の記憶は
食材の鮮度や郷土性のからくるものではなく、家族との繋がりの中で刻まれていったものだと憶えています。
時折母親が揚げてくれた食パンの耳の食感だったりとか、
日曜に家族四人で近所の中華料理屋さんで食べたパイナップルの入った酢豚だったりとか、
秋田から届いた不思議な漬け物、「ちょろぎ」をお腹痛くなるまで食べたこととか。
食いしん坊の星に生まれた私は、子供が文字や言葉をひとつずつ学んで成長していくように、
いろんな食べ物に興味を持ち、食べて、味を知って、世界を好きになっていったのでした。
日本食の本当の美味しさを知ったのは、14歳の時。
その頃私は、思春期にも入って「母親の作ったお弁当はダサいから嫌、
コンビニで買うから作らないで」なんて言って母親を悲しませるような反抗児。
煮物や焼き魚よりも、冷凍のハンバーグや、アンパンマンの顔のポテトのほうが好き。
お米よりも、スパゲッティやパンが好き。ピザが好き。典型的な現代っ子。
そんなある中学校二年生の夏、母親の妹で叔母である美緒ちゃんが京都へ連れて行ってくれました。
夏の京都は本当に蒸し暑く、お寺を数カ所まわるだけで汗だくに。
夏女の私でさえもバテてしまって降参。
そんな時に美緒ちゃんの食べさせてくれた宇治金時のかき氷の美味しかったこと。
氷は綿飴のようにふかふかで口の中でゆっくり溶けて、そこにかかった抹茶の苦さとこっくり煮えた小豆。
あんな綺麗なかき氷は、生まれて始めてでした。
グルメの美緒ちゃんの連れて行ってくれる京都は本当に感激の連続で、
普段嫌いだったヒジキや豆、野菜を豊富に使ったおばんざいや、湯豆腐、生麩、茄子田楽、
お抹茶に和菓子、お漬け物…。はじめて見るもの、食べるものに目をキラキラさせて
「美味しいね、美味しいね」と叔母を呆れされる位、食べ続けたのを覚えています。
お肉やバター、強い調味料を使う必要のないくらい豊かな、素材の味わい。
それからずっと、和食が一番すきです。
先日、枝魯枝魯のごえくんから『和食は「出汁を引く」や「湯引き」等の表現で表すように、
まずは素材があって、その雑味や余計な要素を引き算で調理していく料理』
だということを教わりました。
それに対して欧米等ほとんどの国の料理は「足し算」で、香辛料や調味料を加えていくことで
味に重層的な深みを増していく料理だそう。
豊富な食材や新鮮な海、山、川の幸に恵まれた日本だからこそ、
その素晴らしい素材を存分に活かした調理法を生み出せたのだと思います。
ごえくんの話を聞いて、なんで和食が自分にとって特別なのか、益々腹に落ちた感じ。
それはきっと、私たちの暮らし方や生き方そのものにも言える事。
その質が高ければ高い程、他の余分な物は引いていくだけ。どんどんシンプルになって、
なにも足す必要なんてないんじゃないかと思います。
和食に習う、人生の足し算、引き算。
あなたはどんな人生を送る?
ようこそ、春。
2011.4.6 Wednesday














